得ること↔︎失うこと

得ること失うことは常に対照的である

 

世の中にはたくさんのモノがあり、

世の中はたくさんの人たちで作られています。

 

当たり前のことでしょう。

誰でも知っていることです。

 

第二次世界大戦

日本では白物家電と言われた電化製品は、世の中の女性を労力にかかる時間から解放し、自由な時間を生み出しました

 

車、電車、新幹線、飛行機

人間一人の歩みは小さいけど、乗り物を使えば何処へだって行けます。

 

 

電話やインターネットを使えば、どれだけ離れてる人とも、会話ができ、必要な情報をいつでも取り出すことができます。

 

 

便利であるというのは、素晴らしいです。

きっと発明した人は

『使ってくれる人の役に立ってほしい』

という想いがあるからこそ、素晴らしい発明や開発が出来たのでしょう。

 

 

便利なものは、人に時間を与えてくれ、より人を自由にしてくれる。

どんどん便利なものは手に入れて良いと思う。

でも手に入れるためには、対価としてお金を支払う。お金はほとんどの場合、時間を労働に替えて、その対価としてお金を得ている。

 

時間⇨お金⇨モノ⇨時間

 

そして便利なものを手に入れると、

 

 

増えた時間は大切な人と一緒にいる

 

便利を得たことで、そのもの、所作、意味、感謝を深く考えなくなってしまったと思います。

 

24時間開いているスーパーマーケットでは

いつでも新鮮な野菜や果物が季節を問わず並んでおり、

飲食店へいけば、いつでも好きなものが食べられる。

 

 

 

 

不便を楽しむことを忘れると、便利であることを忘れてしまう。

便利であることを忘れると、物事への有り難みを忘れてしまう。

物事への有り難みを忘れると、人への想いやりを忘れてしまう。

人への想いやりを忘れると、人は尊いものだということを忘れてしまう。

 

 

得ることは失うことである。

失うことは得ることである。

 

スマートフォンに夢中になって、誰かを想う時間を失っていませんか?

少しの距離でもタクシーなどを使って、自分の足で外を歩いて、風や心地の良い日差しを肌で感じることを忘れていませんか?

最近、青空をぼーっと眺めたり、木草花を観察して感動したり、自分がそこに在ることを忘れていませんか?

 

アナタの本当に欲しいものは何ですか?

それは本当に得たいものですか。

得たことでなにかを失いませんか?

 

高齢者・シニアって何歳からなの?

日本人はとても長生きである。

100歳を超える人も約7万人もいるらしい。

 

実際に何歳から高齢者やシニアなどと分類されるのか、とても曖昧なように感じる。

例えば19歳までの未成年者については、身体は小さく、人生経験も乏しいと言う意味では未熟ある。

そのために、飲酒や喫煙、結婚や契約などの責任を伴う法律行為などには、年齢別に制限が設けられており、万人に正しいとは思わないが、子供を守るための規制やルールと考えれば大切なことと思う。

 

では高齢者・シニアについてはどうだろう。

一般的には65歳から74歳を前期高齢者・75歳以上を後期高齢者と言われる。

だが一概に全ての人をその枠に当てはめるのは如何なものだろうか。

その枠に当てはめてなんのメリットがあるのだろうか。

 

65歳になりましたから、あたなは前期高齢者になりました。」などと言われても、何も嬉しくない。

 

しかも前期・後期と分けられていて、

前期は65歳から74歳の10年の期間になっており、

後期については75歳以上となっている。

後期については特に期間などについては設けられていない。

85歳を平均寿命として前期・後期とても試算しているのであろうか。

 

一昔前の高齢者と言えば

年金受給が始まる60歳からであった為、60歳からが高齢者と言うのが一般的だったと思う。

 

では現在はどうだろう。

 

アクティブシニアなどと呼ばれるような65歳以上の人も多い。

私は登山家の三浦雄一郎さんなんかの動画をYouTubeで見ていると、高齢者ってなんだろうって心底考える。

 

 

高齢者・シニアってなんだろう。

 

見た目で判断をするならば

髪が白く染まり、歯が抜け落ち、腰が曲がり、シワの数が数えられないくらい増えてしまい、見た目にも気を使わなくなった状態を高齢者・シニアなどと言うのではないだろうか。

 

健康のことで言うならば

物忘れが増え、足腰が弱り、周りからサポートを受けなくては生活できなくなってしまった状態ではないだろうか。

 

経済的・社会的には

どんな仕事でも良いが、社会の労働力としての参加が身体的に難しくなってしまい、貯金や年金にて生活をしている人ではないだろうか。

 

法律的には

年齢による判断能力などが欠如などにより、

成年後見人、被保佐人、被補助人など審判を受けた状態ではないだろうか。

 

 

 

 

じゃあ果たして、何歳からが高齢者なのだろうか。

 

 

私の考えは、年齢ではないと思う。

ただ、見た目での判断されることが一番多いと思う。

 

服装を整え、周りの人にオシャレと言われ、一緒にいる人に嫌な思いをさせないように気をつけるべきである。

別に新しい洋服などを買えなどとは言わないが、どうしても歳を取ると、見た目よりも暖かさや実用性で服装を選んでしまう。(もちろん、冬場にミニスカートを履くような、色々な意味で無理はしないでいただきたい)

 

先日のことで言えば

茶色のチェック柄のジャケットにベージュぽいスラックスを履いた白髪の男性とお逢いしたが、年齢は83歳になったと聞いて心底驚いた。

同時にこの人はモテるなとも思った。

趣味はゴルフだそうで、その影響なのか背筋もピンと伸びており、とても若々しい方だった。

 

私「いつもそのような(オシャレな)服装なのですか?」

と伺ったところ

 

男性「今日はワイフとデパートに行って、子供と孫と食事に行くから」と。

 

 

 

ワイフ

 

 

 

 

ワイフ

 

 

 

素敵な答えだなと思いつつも、ワイフと言う言葉が頭から離れない。

 

ワイフをお持ちなんだと思った。

(別に大した意味はないが混乱していた)

 

 

 

 

話は戻るが、高齢者となると未成年とは違い

自分で判断もでき、経験も豊富、そして責任能力もある。

 

年齢によって規制されるのはおかしいと思う反面、

一定の年齢に達したら

運転免許証の更新時と同じように認知機能検査などの受験が設けられる必要性を感じる。

 

高齢者・シニアになると

意外にも契約や手続きを行うことが多いためである。

・介護の申請

・入院や手術の手続き

・家の売却

介護施設の契約

・葬式やお墓の手続き

など多岐にわたる。

 

高齢者・シニアが一人でそのようなことをするのは不安である。

 

今は任意後見人制度を利用する人も増えているが、まだまだ浸透しているとも思えない。それに詐欺も多い。

 

自分はまだまだ高齢者・シニアではないと考えるのは良いことであると思うが、

見た目であれば → 一緒に過ごす人に気を使った身なりを心がける

健康面であれば → 定期的な健康を心がける

周囲に心配をかけないようにするのであれば → 見守りサービスや任意後見人制度の活用、詐欺対策の電話機の買い替え、自宅の住み替えなど

考えられることについては積極的に行って欲しいと願うばかりである。

 

 

周りの心配をよそに

「まだまだ元気だから大丈夫」

 

周りからの助言について

「もう歳だから」

 

などと言いつつも、言うだけで特に何もしていない人は

私は時代について来ていない本当の意味での高齢者と思うである。

 

 

年齢=高齢者・シニアではない。

 

 

仕事や子育てを終えて、社会から一定の距離をはあるかもしれないが

高齢者・シニアだって社会の一員なのである。

 

自給自足をしているのではないのだから

家族や地域周辺社会の人との縁はいつだって繋がっているのだ。

 

だからこそ

見た目、健康、周囲を安心させることには気を使って欲しいものだ。